石

石ホープダイヤ・ストーリー石

(イメージ:世にも奇妙な物語メインテーマ)

唐突な質問ですが、みなさんは、呪い、祟りetcを信じますか?
おそらく答えは、次の3つの選択肢、
「信じる」「信じない」「時と場合によって信じることも…」のどれかでしょう。

この話は、2つ目の答え「信じない」を選んだ人に、
是非
読んで頂きたいお話です。
さて、これを読んだ後も、あなたは「信じない」と断言出来ますか?


そのダイヤは、約330年前、インドの古い寺院で発見された。
発見したのは、フランスの探検家、ダベルニエ。
たまたま訪れた寺院の、仏像の額の部分に、
とてつもなく大きなダイヤが付いてるのを見つけたのだ。

「な、なんてデカいダイヤだ!」
ダベルニエは、仏像によじ登って、間近でダイヤを見た。
「すごい…、200、いや300カラットはあるぞ!!」 (注:1カラット=0.2g)
彼は、「祟りが恐ろしいから」と周りが止めるのも聞かず、
ダイヤを仏像から取り出して、それを本国フランスへと、持ち帰った。
「祟りがなんだ!俺は世界一のダイヤを手に入れたぞ!!」

その頃、フランスは、ルイ14世全盛の時代であった。
国王ルイは、ダベルニエのダイヤの噂を聞き、彼を城に呼んだ。
「え!?国王陛下が、このダイヤを所望されると!」
「250万フランで買おう。不足か?」
「250万…、いえ!めっそうもない!!」

ダベルニエは、大金と引き換えに、ダイヤを国王に渡した。
ダイヤはこの時、279カラットから、67カラットに研磨され生まれ変わり、
国王によって、「フランスの青」と名付けられた。

だが、ここから、ダイヤの恐ろしい呪いは始まる…。

大金持ちになったダベルニエは、あっさりと大金を使い果たして落ちぶれ、
ダイヤを手に入れたルイ14世は、それからすぐ病死してしまった。
そして、その後ダイヤを受け継いだルイ16世も、
フランス革命で、断頭台の露と消えてしまったのである。

「ダイヤの呪い」というには、あまりに悲惨な、ルイ王朝の末路だったのだ…。

それから100年間、このダイヤは行方不明になっていたが、
1800年、オランダで再び67カラットから44カラットに研磨された後、
1830年、イギリスの実業家、エリアソンの手に渡った。
彼は、どこに行く時も、ダイヤを手放さなかったという。
ところが、ダイヤを手に入れてから、わずか6日後、
エリアソンは、落馬によって死亡してしまった。

次にこのダイヤを手にしたのは、
イギリスの富豪、トーマス・ヘンリー・ホープだった。

ホープは偶然、街の露天でこのダイヤを見つけ、
「祟りがある」という説明を聞いたにもかかわらず、ダイヤを持ち帰った。
「よし、祟りがあるというなら、縁起のいい名前を付けよう!」

彼は、希望=ホープと、家名のホープを取って
「ホープダイヤ」と命名
した。

だが、名前を変えた効果もなく、ホープ家は、
火事により一家全員焼死してしまった
のだ。
これ以来、ホープダイヤの悪名は、ますます高まり、
このダイヤを手にした宝石商は、
ことごとく不幸な最期をとげた
のである。

中でも悲惨だったのは、
アメリカのワシントン・ポスト紙の社主、マクリーン。

彼は1911年に、ホープダイヤを手に入れ、
このダイヤにまつわる話を、新聞で大々的に特集したのだ。
記事が出ると、新聞は大いに売れ、マクリーンは意気揚揚だったのだが、
その最中、彼の息子ケントが、交通事故によって死亡、
娘メアリーも、橋から落ちて水死してしまった。
そして、彼自身も、そのショックで、気が狂ってしまったという…。

最後にダイヤを手にしたのは、ニューヨークの宝石商、ウィンストン。
だが、彼も数々の不幸にあい、
ついに、自ら
ワシントンのスミソニアン博物館に寄贈した。
ホープダイヤは、結局、誰一人買い手のつかないまま、
現在もスミソニアン博物館の大金庫に、
厳重に保管されている…。



さあ、どうでしょう?
偶然もここまで重なると、ちょっと恐ろしいですよね?

え!?そんなことないって?
うーん、そういう方は、いっそのこと、
このホープダイヤを購入されてはいかが??

…え、そんなダイヤ、買うお金なくて縁ないから、ちっとも怖くないって?
それは、その通りかもしれないです。ハイ。

ちなみに最初の問い、私はやっぱり「信じない」の一点張りです。
こんなストーリー書いた張本人が、何言ってるんだか!って感じですけれど、
呪いとか祟りとか運命とかって、
信じていない方が、
人生気楽だと思いませんか?

あ、でも年に1度、お正月の時だけは、
神社の神様に今年の運を頼んだりします。

(↑俗に言う「初詣で」ってヤツですが)
それは、信じているうちに入るんでしょうかねぇ…?


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